富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

向假普選説「不」

fookpaktsuen2015-06-14

農暦四月廿八日。今日も暑い。さすがに外をジョギングする勇気(狂気か)もなくジムに行きトレッドミルで5kmだけジョギング。マシンの前のモニタでNathional Geographic TVでネパール大地震の検証番組眺める。午後、空港。客人お迎へ。初対面の方だが知的でエアポートエクスプレスの中でも四方山話も盛り上がる。北角のホテルまでお送りして昨日と同じで何気に来たバスに乗ると(アタシはフーテンの寅か)ケネディタウン行きのバスが本来ならKing’s Rd真っ直ぐ銅鑼湾でLeighton Hill Rd経由で湾仔のはずが路線変更だかで天后手前で清風街の陸橋に入る。この陸橋は上り車線右手に陸橋から50cmくらゐの近さでマンションが建つてをり、これがスリリングで面白い。浅草花やしきのジェットコースターが下町の家の物干し場すれすれ通るやうな演出に近い。これを映画「半邊人」では主人公の車がこの陸橋でエンストしてしまひ当時、携帯電話もないので、このマンションの住人に「警察に電話してくれ」と話しかけるシーンあり(こちら)。バスは銅鑼湾に近づいたら渋滞で一向に進まず。今日は日曜で土曜ぢゃないんだから午後の渋滞あるはずなし。はっ、と気づけば今日は行政長官選挙の似非普選に反対の市民デモ。先ほど、目と鼻の先のヴィクトリア公園をデモが出発だとわかり銅鑼湾でバスを降り電車通りに。すでに片側通行止めでデモのお練り待ち状態。そこでデモ眺めてゐると某紙記者のC氏に声かけられ民主派議員ら市民と続々とデモ行進続く。何少蘭議員と少し立ち話で公民党の梁家傑議員らには視線合ひ黙礼。梁「長毛」國雄議員に「頑張ってね」と声かけるが顔に笑みもなく不機嫌さうに煙草吸いながらのデモで周囲からまさに煙たがられるのは一昨日だつたか中共側の某人から選挙法案に賛成するなら1億ドルの資金提供といふ話があつたとマスコミ相手に話し、その信憑性疑はれマスコミの取材がそちらに向いてゐるためで、マスコミの取材で取り囲まれデモ隊から遠く遅れる始末。デモは5万人規模と事前に主催者狼煙上げてゐたが実際の参加者は数千人規模で20分ほどでデモ隊は通り過ぎてゆく(後ほどの発表で主催者側は3,500人に対して警察発表も3,140人でほぼ近似)。毎年恒例の71デモや昨年の黄傘運動に比べ規模が劣るのは今回の行政長官選挙が似非普選でも「袋住先」=とにかく受け入れ派と絶対反対が世論調査でも拮抗してをり水曜日(17日)の立法会でこの選挙案が野党の反対で否決されると中共側も普選実施で硬直化も予想され「ここまで反対主張しなくても」といふ空気が、この3千人といふ参加者数に現れてゐる。民主派議員の中でも「あれ、あの先生がゐない?」は穏健派で選挙案賛成に回るのかしら。道路封鎖解除のあとトラムに乗り車窓からデモ眺める。湾仔手前でデモ隊のコースと電車道の交差あり、そこでトラム渋滞で下車して銅鑼湾に還る。鵝頸橋の下では土共らが五星紅旗掲げ革命歌歌ひ選挙制度支持訴へ。エノテカでワイン仕入れ北角へ。ホテルで客人と再会し散歩しながら甘飯館。やつとこの食肆で顔で通るやうになる。黒真珠のやうに美しく旨い皮蛋。焼鵝。海老の咕嚕肉(酢豚)ならぬ咕嚕明蝦。サンテミリオンのChâteau la Grangere 2001年は手頃な価格だつたが「なるほどこれなら安値」とわかる質。

▼日経で「風見鶏」というコラムで伊那久喜・特別編集員が書いてゐる「PKO国会の神話と史実」。国会の党首討論20日)に維新代表の松野君が1992年に自衛隊PKO参加を扱つた国会を取り上げ当時この審議に3国会の時間費やしたことで「しっかりした国会の審議をすることによって国民の間にも理解が広がり問題点やリスクも理解され、それによって今、PKO、しっかりやってゐる」と紹介したことについて、このコラムは当時のPKO国会が牛歩戦術で4泊5日の徹夜本会議になつたこと、社会党社民連の戯院が辞職願提出の奇策まであり、どれだけ混乱したか、を各紙の社説などで検証し、いかに「しっかりした国会の審議ではなかったか」と指摘。そこまでは松野君の誤解の検証で、それはそれで良い。だが、そこから先は朝日・毎日が自衛隊派遣に反対してゐたのが今世紀に入つてから自衛隊PKO参加評価にまわつた、当時あれだけ審議に時間かけても合意に至らず反対論者に理解広まったのは法施行の後、今の安保法制も野党を問わず「丁寧な議論を」の声もあるが丁寧の意味は不明確で時間の多寡ではないと言ふ。……だとすると「だから安保法制は国会審議は無駄、法整備しちまえ」とでも言ひたいのか、とすら思へるが、さうではなく、もっと具体的で建設的な議論を、と言ひたいのか、だとすると、それはそれで「それぢゃ、それが具体的に何か?」がわからない。さらにこの記事の最後は23年前にPKO法案に徹底抗戦した社会党は当時、今の民主党の2倍近い138議席衆院で有してゐたが、それが今では2議席、と揶揄で終はる。つまり「安保法制に反対などしてゐる誤解ばかりの政党は将来、議席がなくなり解党の危機もある」とでも因縁づけたいのかしら。この方の記事で三月朔日のこの日乗で紹介した戦後レジームついて(こちら)は面白かつたのだが。