富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2015-06-13

農暦四月廿七日。午前中九龍での用事済ませたが兎にかく外は猛暑。歩きたくもないので昼は通りがかりの茶餐庁に入ると父親に連れられた子どもの食べてゐた火腿雙蛋飯が美味そうに見えて何十年ぶりか、でこれ。ご飯の上に薄切りの安っぽい火腿=ハム3枚と雙蛋=卵2個の目玉焼き乗つてゐるだけ、の安飯なのだが、これでHK$39もするのだから物価高に改めて驚き。歩きたくないどころか近くのバス停でバス待つのも嫌なので最初に来たバスに乗つたら竹園邨往き。竹園邨は黄大仙の後方にある公共団地。そこのバスターミナルから103番のバスちょうど出るとこで乗車。香港島に向け真っ直ぐ行きさうで九龍の培正小学から何文田抜ける経路が通好みだが土曜午後の渋滞に嵌り紅磡の海底隧道抜けるのに半時間も要し銅鑼湾から慌てゝ西湾河に往き電影資料館に滑り込みで『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』を見る。海洋博から5年後の1980年の作品だが、この時でも柴又では「沖縄ってどうやって往くんだ?」と満男の地図帳で探すほど。飛行機嫌ひの寅さんの訪れた沖縄は琉球語で台湾や香港と全く変はらぬ市場の風景、米軍基地、戦闘機の騒音……山田洋次は沖縄の現実をじっくりと「寅さん」の客に見せる。敢へてこのリリー(浅丘ルリ子)出演の第25作目見たのは、この作品のシリーズの中での特異性。「所帯もとうか」とリリーと言つてしまつた寅、これが叶えば「男はつらいよ」完結なので無理な話としても寅の無性-性が露骨に出た作品。病身のリリーに気遣ふといふ理由はあるが寅の今の言葉で言へば「セックスレス」だが改めて何度目かでこの作品を見ると寅の場合はセックスレスを超えたセクシュアリティの喪失或いは寅に宿命づけられたヴァージニティすら感じる。夕方になり少し風も出る。帰宅して枝豆とビール。電影資料館の上映予告で久々にAlejandro Jodorowsky監督の“The Holy Mountain”の映像に接し帰宅してYoutubeでこれを見る。1970年代らしさ。NHKブラタモリで函館の続き見る。鉄板焼きで韓国風に焼肉。文藝春秋7月号読了。巻頭エッセイで立花隆が晋三の安保法制について「安吾の戦争観」と坂口安吾を用ゐらないといけないほどの現実=晋三の虚実感。橋下につき「憲法とは国家権力を制限するための法制度だが民主国家においては国家権力は民主権力であるから民主国家の憲法が制約する対象は民主権力」で「民主権力は独裁権力へと堕し自由を侵害しかねない」もので「憲法というものは謂わば橋下市長のような政治家が現れないようにするための制度なのだ」と中野剛志。
▼日経の社説「現実がもたらしてきた憲法解釈の変遷」(こちら)。

国会で審議中の安全保障関連法案の柱である集団的自衛権の行使容認をめぐって、憲法解釈の対立が続いている。衆院憲法審査会で自民党推薦の参考人として出席した憲法学者違憲と明言したのをきっかけに、政府が統一見解を示す事態となり、与野党がそれぞれの立場から合憲・違憲の水かけ論を繰りひろげているものだ。この問題は9条解釈という戦後ずっと続いてきた政治の一大テーマで別に目新しいものではない。9条が抱える構造問題でもある。

そも/\安保法制での政府の統一見解は最初からあるもので衆院憲法審査会で自民党推薦の憲法学者違憲と明言したのがキッカケではないだろ。それに政府がこんな重要な法制審議で統一見解を示すことは「……の事態」ではなく当然。しかもこれは与野党の「水かけ論」に非ず。朝日とも読売とも違ひますで、わかつて書いてゐるようで結局のところ何も考へてゐないのが所詮、株屋相場師の新聞と嗤はれる理由。それに対して顔本からの引用で何処の新聞かわからないが(東京新聞か?)愛知県の87歳の「先の大戦の生き残り」の方が指摘する「前線も後方もない」は一読に値する。「後方支援は戦闘員ではないと考える政治家は無知に過ぎる」として晋三を「本音と建前をうまく使いわけ悪知恵にたけた政治家だと思う」とバッサリ。久が原T君も「壇ノ浦合戦でも義経は水主・舵取を射殺させた」と。「総理、総理は壇ノ浦で義経がどのような策に出たか、をご存知ないのですか、総理、総理」と辻元ちゃんに演ってほしいところ。