農暦三月十三日。新暦ではもう五月。May Dayの祝日だが官邸で書類整理。夕方、油麻地。シメマティクでXavier Dolanが二十歳で監督、脚本、演出、主演の映画 “J'ai tué ma mère”見る。画面が1:1といふ映画では珍しいアスペクト比だが最後の最後で(途中もあつたはずだが)普通のワイドになり1:1にまた戻る迄不思議と気づかず。十七歳の主人公といふのは大江健三郎の『性的人間』にせよ白先勇『寂寞的十七歳』にせよ絵になるが、Xavier Dolanが演じる十七歳は多感とはいへ単身の母にとつては息子が成績は悪い上に夜遊びすればドラッグでヘベレケになり夜中に訳わからないことを喋りまくり恋人は同級生の男子で……と、しっちゃかめっちゃかさうで母がそれを受け入れる姿が自然なのが愉快。物語で父殺しは珍しくないが「母殺し」はユング的には母離れの通過儀礼なのだらう、それをXavier Dolanだとゲイで、母性の否定のやうに描くから妙(結局、否定しきれず自分のなかの母性を受容せざるを得ないのだが)。Z嬢と待合せ彼女に誘はれ廟街のネパール料理屋、Manakamanaへ。ネパール人客多し。祖国での惨事。黙々と食し出てゆく人々。週間読書人(四月廿四日号)で中森明夫のインタビュー読む。本人曰く自分の集大成ださうな、亡き母に贈つた『悲しさの力』について。人はなぜ寂しいのか?……それは生まれてきたからでせう、生きるとは寂しさを肯定すること、寂しい人ほどより生きている気がする……って何とも否定しようなく「生きるとは寂しさを肯定すること」って、さうなんだよね。でも明夫さんインタビューで語りすぎ。自分から吉本隆明や小林秀雄に投影させるんですもの、自分の姿勢を。読んでゐる方が恥ずかしくなる。東京おとなクラブに笑ひ『東京トンガリキッズ』の角川文庫版はまだ私の本棚に並んでゐる。東京トンガリキッズの第1話、東京の麻布かな?の男子が東洋英和か、の彼女と放課後のデートで銀座線の電車で電車がホームに入る瞬間、車内の照明が瞬間、落ちるときにさっとキスをする、その短編は見事だつた。銀座線なので麻布と東洋英和ぢゃないか。銀座線の車内の照明も今は落ちない。
▼FT紙で“The west can look for answers in Japan’s lost decades”といふ記事。日本の「失われた20年」で、その原因として
- the inability of policy makers to overcome parochial interests, and instead form integrated strategies that prioritise the national interest.
- a lack of independent review of government policies.
を挙げており、さうなんだよね、と思ふ。
Certainly, Japan’s lost decades need not have happened. Or at least, the country’s troubles need not have been so severe and drawn out. Fortunately, other mature economies have the benefit of hindsight. The lessons that can be derived from the lost decades are still being written. It may yet be the outcome of Abenomics that provides the greatest instruction.
とアベノミクスに懐疑的なのは当然、と読み終はつたら書き手は船橋洋一君だつた。
@fookpaktsuen: 安倍首相の演説、海外でカンペ画像が報じられる「顔を上げ拍手促す」 URL via @HuffPostJapan