富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

古典は何を見てゐたか

fookpaktsuen2015-04-09

農暦二月廿一日。曇。忙しいだけ。晩にECMレコードでキース=ジャレットのピアノ独奏で“Facing You”のLP聴く。
▼週間読書人(三月廿七日号)で中沢新一しりあがり寿の対談「古典は何を見ていたか」秀逸。しりあがり寿の『真夜中の弥次さん喜多さん』から話が始まる。弥次喜多のすごいところは俯瞰で引くところ。宿屋や道中で二人が馬鹿なことするのは、まさに「絵」で、それをいつも上から引いた視点で冷ややかに見る。滑稽どころか『明日に向かって撃て!』の如きクライムストーリー性。長谷川町子の『新やじきた道中紀』に話が入つてハタと膝を叩く私。「弥次さんと喜多さんがさんざん悪をやり尽くして銃弾の前に飛び出すとそこにお伊勢さんが待っていた」って(笑)。この東海道中膝栗毛は凄すぎるとしても他も「不確かな、暗いものの上に辛うじて乗っかっていて、そこで戦っていたり恋愛している」古典。日本文学の主題として「切り離すこと」の大事。日本人んの明治以降の歴史は司馬遼太郎の影響を大きく受けてゐるが歴史はそんなすっきりした物語ではない、と。自分が奪はれたものを回復する物語ばかり。明治維新も西欧に奪はれさうになつた日本を守つた、アジアを守つた、米国も911から、イスラムもみんな都合のいゝ回復の話にするから決着がつかない。自分たちの物語がどうなつたらハッピーエンドなのか、と考へるとどうしても回復を原動力とする物語となる。みんなが物語読みたいと思ふのは結局、自分の中にある原始的な物語の構造を満足させるため。いま世界で起こつてゐる問題の多くはその構造に引っ張られて思考してゐるがゆゑに起こる。我々がへーベルやマルクスを乗り越へられないのは、その前段のプロセスである民主主義ぢたい未完成、そこに改善の余地があるから。經濟でいへば生産あつての金融が今や金融がすべて呑みこみ生産にリアリティがない。ヘーゲルマルクスのいふ人間性が自然に近づくことが人間の理想だとすると、そこは生と死が一体となつて追いかけっこしてゐる状態じゃないか。幻覚剤もスポーツ、セックスでも快楽物質はすべて脳の同じ点から出てゐる、あのエクスタシー、我を忘れる感覚は言はば「小さな死」。その小さな死が快楽で生きる悦びなら人間はなぜ死ぬのが怖い、嫌かといふと「小さな死を味わえなくなるから」。生きてゐるうちに死を味はふのが最高の快楽。十返舎一九は江戸時代、その社会とは何かといふことを相当にニヒルな高所から見下ろして馬鹿げた生き方をしてゐる、その自分を笑つてみせる、この視線が現代人には欠けてゐる。いまのオタクはリアルとバーチャルの鬩ぎあひを相変わらず重大だと思ひこみ、また別の人は原始的な物語の構造にいまだに引っ張られてゐて、みんな途中で止まつてしまつてゐる。柔軟ないゝ加減さを世界に広げることで、こゝで進化しないともうだうしやうもないところまで来てしまつた人類に貢献しないと、と。……この対談、中沢新一の新著『日本文学の大地』上梓に合はせてのものだが『太平記』につて、あれは後醍醐天皇に忠誠尽くした楠木正成の話が全て、ではなく鎌倉幕府軍の北朝方が戦さで「やあ/\我こそは」と伝統的な名乗り上げると西国武士(南朝方)は「あれはいったい何だ?」ときょとんとして、だう対応してよいかわからない。そのうち「あれは平家物語に書かれてあるやつぢゃないか」と気づくが応へもできず楠軍の武士は「あれは要するに戦記物を読みすぎて頭がおかしくなっちゃった兵士だ」と笑ふ。それで笑はれた武士は、あまりに悔しくてそのまゝ憤死する……と、アタシには太平記そこまで読み取れなかつたが、いづれにせよ人間がいかにタコツボ的思考に嵌るか、のエピソードとして面白い。
▼「今晩は、ピーター=バラカンです」格好いいのね。最初から大ファン。とにかく聞かれてくれる曲が素敵。今でもラジオでちゃんとバラカンさんの放送聞いてゐる私。今週、日経(夕刊)で半生語りの連載中なのだが今の少し枯れた感じ、紅顔の少年時代……で何よ、これ?な昨日の写真。あー私のバラカンさんのイメージが壊れてゆく……。

▼先月、行政長官CY梁の娘が精神患つてゐることを結果的に論つて謝罪した練乙錚が今日の信報でCY梁の一国二制度、行政長官選出法についてのコメントに反論「梁先生你又錯了:一國多制才是國際標準、大國常態!」。CY梁は通常は「一国一制」が世界的標準と宣つたが練乙錚曰く、米国やカナダ、印度などの連邦制、原住民集団社会の独立制、ケベックなど細々と列挙して「一国多制」が顕著なのだ、と。

所謂「一國兩制乃吾國獨有、是訒小平的一大發明」、「國際標準是一國一制」、「民主沒有國際標準」,等等,都是完全荒謬的,處心積慮那樣說,目的就都不外是掩人耳目,避免香港人向外國的民主體制、一國多制借鏡。你看這個政府把謊話荒謬話說得多麼鄭重、多麼體面、尊嚴。

とCY梁のことボロクソ。娘の病ひはネタにしていけないがCY梁自身の政治的信念への非難はこれはいいのだ〜!。

大學は「我が国と郷土を愛する態度を養う」場に非ず。