富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

清明節

fookpaktsuen2015-04-05

農暦二月十七日。陽暦四月五日で清明節(太陽黄経が15度の日なのださうな)。香港天文台観測史上最も暑い清明節(気温摂氏28度)。私は掃墓もなく官邸で書類整理。午後、湾仔の芸術中心。台湾の戦後映画史のドキュメント『那時.此刻』見る。もっと侯孝賢監督の一人語りかと思つてゐたが今ではアジア代表する映画祭の金馬獎が、これが何故始まつたか?から。ベルリン映画祭の金熊賞あるので台湾は金の馬か、と思ふ人多いが(若い映画関係者も映画の冒頭でさう勘違ひのシーン印象的)これは金門馬祖の金馬で1958年の中共による金門攻撃(第2次台湾海峡危機)をば国府軍が米軍の軍備支援受け辛うじて防衛。1962年に創設されたこの映画賞が金馬と名付けられたのはプロパガンダ的に自力更生での映画復興が目的で毎年この映画祭開催される十月三十一日は蒋介石誕生日で当初は国府推奨映画ばかりだつたが蒋介石逝去で金馬奨はやつと純粋な映画祭となる。但し台湾の映画ブームは1962年の「梁山伯與祝英台」が香港制作映画、その後、李行監督の社会派作品などもあるが蒋介石死後も中華民国の国連脱退で反発する、1976年の映画「梅花」に象徴される国威発揚ブーム。1980年代は香港映画が台湾を席捲。そのなか政治的には美麗島事件のやうに台湾民主化、反国民党の機運が増し孫越監督の「搭錯車」は国民党による台湾支配が暗喩(なるほど、さうだつたか)。そのなかで80年代に台湾映画のエポックメーキングはやはり侯孝賢の「童年往事」(1985年)に続く2年後の「戀戀風塵」。台湾新電影の黄金時代。「悲情城市」、王童監督の「香蕉天堂」や楊徳昌「牯嶺街少年殺人事件」このあたりは香港でも油麻地の普慶戯院が積極的に上映で私もよく見てゐた。その後、大陸映画も金馬奨に招かれ金馬奨が「華語片」の権威となつてゆく。この映画では香港映画ブームを復た語るが私の印象的には「愛情萬歳」からの蔡明亮、「喜宴」から李安など排出してゐるが映画の年間制作数が十数本といふときもあつたといふ。近年は魏徳聖監督の「海角七號」の大ヒットに始まり「セデックバレ」、九把刀の「那些年,我們一起追的女孩」など台湾映画が順調。「海角七號」は何が面白いのか私にはさっぱりだつたが現代の台湾の普通の若者を普通に描いたことが画期的で「海角七號、見た?」が当たり前になつた点だといふ。戦後の台湾映画が、そして金馬奨がどれだけ台湾の政治的背景に影響を受けてきたか、を見事にまとめたドキュメンタリー。これは価値あり。映画の最後で2011年の金馬奨で映画「桃姐」で最優秀男優賞の劉紱華がスピーチで台湾映画隆盛を祝福し、それに比べ香港映画の低迷を非情城市で搭錯車の如き状況とコメントが印象的。さう、1989年の非情城市はまさに台湾で、そのときに香港にそれを重ねての印象は皆無……だが今は香港ほど非情城市感じる都市もなし。このあとZ嬢と市大会堂で廣木隆一監督『さよなら歌舞伎町』見るつもりが急ぎで片付ける仕事一つ出来て官邸に還る。晩に香港空港。来港の客人迎へる。「おーい、こっち/\」と香港で客にこれをやると『女衒』の緒形拳のやうだが若い人にはなんのことか解らぬか。客人をホテルに送る。
▼昨日、香港政府が基本法発布25執念の記念行事開催。CY梁、スピーチのなかで曰く、当時、行政長官の選出方法検討で5案あつたが、そのなかで公民提名(universal suffrage)もなければ(選挙に関する)所謂「国際標準」についての言及もなかつた、雨傘運動で毋忘初衷(初心忘れる勿れ)といふ言葉が常用されてゐたが基本にとつての「初心」は広汎性のある選挙委員による選定経た候補者から普通選挙によつて選出されることが初心、と。これに対して(この行事に招かれたが不参加の)マーチン李銘柱がCY梁のコメントを全否定。李自身最低10分の1の立法議員による推挙で行政長官候補者を出せ普通選挙による選出、これは間接的であれ公民提名であり政見異なる者も候補者になれるものだつた、と反論。今更言つてもお互い、という感あり。