富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

安倍の耳に念仏

農暦二月十二日。早晩に銅羅湾。テーラーの法蘭西屋でブルックスブラザースのジャケットの寸法直し受領。十年以上前のジャケットが年老い身体が萎んだのか借り物のやうにだぶ/\になつてしまつたもの。知己のS氏に誘はれ飲み会ありでイカセンター(こちら)の香港店。生け簀の活イカが刺身で供される。一パイHKD600也。なんとも格別な歯ごたへ。たゞ刺身系は味音痴な私。それにしてもちょっと活イカの盛り付けが……ゲソ取り除き(それはそれで供されるのだが)イカの頭を割って供されると何だか別のグロい生き物に見えてしまつて。同じイカセンターでも東京の盛り付けは自然にイカに見えるから。何だか小腹が減つて居酒屋一番で独酌。ご亭主O氏と昔語り。四半世紀前から今でも銅羅湾にある日本料理は居酒屋一番の他だと地元系の友和くらゐ?かしら。当時は日本料理も数えるほどでこの二軒の他だと葵、金田中、石庭、明石それに島田屋あたり、少し遅れて稲穂亭とかだが残つてゐない。尖沙咀でも大阪、京笹は代替はりしてゐて西村、寿司の見城はもう少し後、尖東の五味鳥と一平安は当時のまゝ。
朝日新聞杉田敦&長谷部恭男の対談(29日、こちら)。晋三の自衛隊「我が軍」発言や「日教組!」の野次。近年「建前」は空虚な見かけとして否定的にとらへられる。国会議員の国会での発言は憲法で免責特権が認められてゐるが国務大臣は免責されないといふのが憲法学界の通説。国務大臣は政策遂行につき説明責任果たすために国会で答弁するもので一議員と同じ立場で自由に発言することは到底認めらず免責されぬのが憲法学界の通説(といつても憲法など理解できぬ晋三には馬事東風、安倍の耳に念仏)。首相の国会での野次になぜ不信任決議の話すら出ないのか。「自由すぎる首相」の下、野党もメディアも駄目よ駄目/\。テレビの街頭インタビューで市民の声が偏向と晋三は指摘し国会でそれを質されゝば「言論の自由」といふが反論はしても、あくまで説明責任果たす観点からされるべき。ましてや番組の編集権への攻撃は稚拙。首相といふ立場の権力者でありながらメディアや野党に「不当に」攻撃されてゐるといふ被害者意識。批判も甘んじて受けねば、といふ「建前」に準じても損。これが一部の有権者の感覚とも共振。戦後日本の「建前」に沿つて過去の歴史を反省してゐたら近隣諸国につけこまれ日本は損、本音を表に出すべきだ、と。トンちゃんや河野の談話は学問的な歴史の問題ではなく人々の情念が絡まる記憶の問題。証拠の有無や正確性いくら詰めても決着はつかぬ、だからお互ひなんとか折り合ひつく範囲内に収める政治的な判断。

安倍さんたちは未来を向いて過去を振り払えば政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞感が強まる中で自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。

と杉田先生。それを受け長谷部先生曰く

合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。(略)あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。

そんな怖さ理解できないから恥ずかしさも怯えもなく首相のできる晋三は確かに前回の登板の時よか馬鹿力がついてゐるから困ったもの。