富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

李光耀閣下国葬

fookpaktsuen2015-03-29

農暦二月初十。いつも旅行から戻ると晩のうちに旅荷片付けるが昨晩は遉がに遅く今朝起きてから片付け。午後、Z嬢と旺角。MTR東鐡の旺角站の商場はMOKOといふ名前になり、そこの映画館で先週から始まつてゐた香港映画祭市川崑監督の「東京オリンピック」見る。170分の長編。東西ドイツが統一チームで参加。台湾は漢字は中華民国だが英語はTAIWANだつた。開会式の秋晴れ印象的だが競技日は雨多し。当時のオリンピックは未だアマチュアリズムで陸上選手が製鉄所で働いてゐたり歴史教師だつたり会社の会計だつたり。やはり感動は大松監督率ゐる女子バレーボール。あの決勝戦美智子様ご観戦ひときわお綺麗。マラソンアベベの悟りの境地のやうな表情。沿線で新宿南口(まだ当時は南口もないが)日本晴や台北飯店のあつたどや街。昔を懐かしむ。開会式で「君が代」は吹奏で斉唱なんて当時はナシ。金メダルで国歌流れても君が代斉唱する選手も皆無。それがいつの間にか斉唱になったのか。このへんが付和雷同でいつのまにか伝統になる日本の怖さ。ペットショップ多い勝利街で犬猫愛で勝利小厨で海南鶏飯。帰宅するのにトンネルバスで一旦、中環に出て、そこから太古城に向かふ720に乗る遠回り、の理由は香港サイドのCentral-Wan Chai Bypass and Island Eastern Corridor Linkの建設(総工費HKD36b、こちら)で従前のEastern Corridorとこのバイパスのリンクする、この工程で最も複雑な交叉地点の工事現場でEastern Corridor通行止めにすることなく従前の高架道の車線移設で今日それが通行開始となつたから←アタシは鉄ちゃんだけでなく道ちゃんでもあるのかしら。バスで通り抜けて実感したが従前の下り=東往きの車線を海側に新しく設け、従前の東往きの車線を上り=西往きのバイパストンネル入り口にするとはお見事。バスの乗客の多くはこの変更に気づいてもゐない。今日は地下鉄・港島線の上環〜ケネディタウン延長で唯一開業の遅れてゐた西営盤站も開業。帰宅してサントリープレミアムモルツ「コクのブレンド」飲む。岡田屋で350ml缶が121円也。
▼本日、シンガポール李光耀閣下国葬。大雨。大喪の礼彷彿。大雨のなか轜車の葬列を沿道から見送る民草、「リークワンユー!」の掛け声。国父大喪で轜車の列はさぞや大規模かと思ひきやおパトカー1、オートバイ3、ジープが轜車を引き、その後ろにバン1、パトカー、オートバイ3といふ、まことに簡素な葬列。長男首相始め遺族も棺送り出すときは首相は白のポロシャツで孫や遺族らもワイシャツで軽装。葬列が新加坡大学に着き国葬。そこに遺族ら先回りしてゐたが、ここでも首相はワイシャツに黒ネクタイ姿。けして広くないホールに晋三ら海外からの慰問客も含めぎっしりで舞台上には一対の立花あるのみ。長男首相による御誄。1分間の黙祷。呉某•前首相の弔辞、拝礼とまことに簡素ななか厳か。この国父逝去につき陶傑先生の“李光耀故事”(こちら)秀逸。新加坡の現状と課題については27日のFT紙“Singapore: Life after Lee”(こちら)一読の価値あり。今日の蘋果日報で陶傑“遠東的凱撒大帝”(極東のカエサル大帝)が李光耀独裁の必然性について見事(こちら)。戦後のマレー半島において政治的幼稚な華人と情緒衝動的なマレー人では赤化免れず李光耀といふ華人でありながら秦那心なく西洋的な英才による専制ローマ帝国カエサルに例へる。この独裁に不満で民主制望みカエサルが暗殺されたらローマはだうなつたか……民主どころか暴君登場だらう、と。新加坡では17歳の若者が「リークワンユーがやっと死んだ、独裁者」と呼びヒトラーに準へ、この少年逮捕される。(以下、後日談)数日後に釈放されたが若者の父が現首相に大変申し訳ないことをしたと泣いてお詫びがなんとも。
▼台湾の自由時報で盧世祥「台灣要如何紀念終戰七十年」(こちら)より抜粋。

台灣要紀念終戰七十年,最重要的,因此是讓二戰期間台灣人民和土地所受苦難準確呈現。戰後繼日本統治台灣的另一個外來政權,不論出自力行中國化政策或顧及與美國關係,對日本時代的種種一概抹煞,如縱貫鐵路全線通車等政績固蓄意淡化,台灣人民戰時所受災難的史實也刻意隱諱;只有在民主化之後,日本時代的台灣史才逐漸脫去障蔽、面向陽光、見到真實。
對日本時代歷史茫然,導致許多偏差。「二戰台灣被日本人轟炸」是最典型的歷史白痴;台灣銀行官網宣稱「本行成立於民國三十五年」,形同自行閹割行史近五十年(台銀一八九九年由日本政府成立)。台北市長柯文哲看「KANO」,對這部以一九三○年代嘉義農林棒球隊打進甲子園中學冠軍賽為情節的電影,同行友人好奇問他,何以很多電影中人物都講日語?顯見即使知識份子,對台灣往事也所知無多。
這些例子足可證明,「台灣人的悲哀」也表現在對自己歷史的隔閡︰我們的學子記誦他國歷史滾瓜爛熟,考試一考再考;一般國人對這一土地及人民的過去,卻所知有限。最近,法務部長把三十五年前的美麗島事件視為「很久以前的事」,凸顯了短視及歷史文盲在台灣社會的普遍性。