富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三峡に遊ぶ

fookpaktsuen2015-03-27

農暦二月初八。昨晩止んだ雨だつたが今朝は復た下雨。朝七時にラウンジで朝食。客層が静か。野暮な団体ツアー客をらず。各部屋にきちんと朝の新聞届けられ地場の新聞の代はりにアタシのところには日本語のニュース摘要だつたが中文報紙を、とフロントで請ふと新聞は何れを?、で自由時報をお願いすると今日は余りがないので、と朝食の最中にラウンジにある閲覧用持つてきてくれ明日は部屋にお届けします、と徹底したサービスぶり。社説「民族主義對抗不了普世價值」で中国の少数民族も統括した民族主義について(こちら)。

近年來,中國把「民族振興」當作口號,不斷刺激全球華人的祖國意識,以製造中國崛起的中興假象。顯然,中國想利用落伍的民族主義,來阻擋民主主義的普世價值,從而鞏固共產黨的一黨專政。為此,中國不惜與普世價值對抗,劉曉波獲頒諾貝爾和平獎,老共卻將他打入鄢牢,嚴懲這位「反華勢力」的代言人,堪稱著例。

今日は何も予定なし。Z嬢の発案で台北郊外、新北市の三峡まで往つてみよう、と捷運で板橋の新埔へ。此処から路線バスに乗り換へ三峡に向かふが新埔出ると直ぐに高速3号線で路線バスが高速といふのも興味深いが忽ち三峡へ。淡水河第一の支流・大漢渓対岸の鶯歌とともに窯業栄えた土地。水運による交易で清代から栄えてゐたが福建、広東の従来の建築に日本統治時代に西洋的なファザードをもつた様式で都市開発され、それが現存。今では貴重な観光資源で観光客相手の土産物屋並ぶ。元の三峡の町役場だつた?建物の歴史文物館見学。古伯手工米苔目といふ混雑する食肆で米苔目(客家粉條)啜る。国立台北大学の郊外移転誘致に成功し広大なキャンパスも市中心部にあり。路線バスで昼過ぎに台北市内に戻る。三峡で雨が続くのでズボンが一寸長めで、こゝ数日の雨で濡れて難儀してゐたので長靴贖ひ履いてゐたのだが台北に戻ると雨も歇み雨雲絶へ陽光が。西門。誠品書店。会員サイトにログイン出来ず顧客服務で対応してもらふ。台北永康街近くの信義路二段に林于硃医師蒐集の史料展示する秋恵文庫(喫茶)あり、その秋恵文庫編で出版の『古地図看台北』(玉山社)と『躍動的青春 日治臺灣的學生生活』の二冊贖ふ。Z嬢と別れ新公園抜けて台大医学人文博物館見学。当時の台湾帝国大学医学部の校舎で大正5年に竣工の近藤十郎設計によるルネッサンス様式の近代建築。日本による台湾統治始まつて間もない1897年に台北病院長の山口秀高が院内に土人医学講習所」設け台籍の学生に基礎医学訓練始め2年後に台湾総督府医学学校開設。京都帝大医学部で台湾人で初の医学博士号とつた杜聡明(1893〜1986)や社会運動家の蔣渭水(1890〜1931)など卒業生で彼らの偉業の展示眺める。設立の意図は台湾といふ「瘴癘の地」で衛生医学の普及だが当時の人類学と提携して蛮族の優生学的研究などもあつたであらう。そこに集まつた台湾各地からの英才たちは医学を習得するだけでなく近代思想に接し台湾の社会変革の重要な使徒となつてゆく。西門に戻りふら/\。紅楼に面した酒場で夕方のビール一酌。Z嬢と松江南京站で待ち合わせることになり西門から捷運に乗つてゐると中山站で同じ車両にZ嬢乗つてくる。四平街の四平小館で酸菜白肉鍋。四平街夜市。小さな夜市だが賑やか。地場の若者ばかり。台湾人の夜市好き。ほのぼのとして自分が幼かつた頃の宵街の賑はひ彷彿。その東が建国市場。バラックから自然発生的に市場になつた面影あり。隣の公園に猫多し。建国路高速の下くゞり復興北路の宿まで歩く。さういへば今日でNHKのNW9はキャスター大越降板。BSで見られたが既に番組終了後。アタシからするとかなり体制寄り自民党にべったりの発言少なからず、と思へたが今回の降板はかなり積極的な原発取材や朝鮮人強制連行などに関しての彼の発言に晋三サイドがかなり不愉快で圧力といふ噂もあり。あの程度で、と思ふとぞっとするほどの報道統制よ。
馬英九相当が台湾も中国主導のAIIBに参加表明。TPPそしてAIIB……参加しても拒否しても結果は同じか。