富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

李光耀閣下逝去

fookpaktsuen2015-03-23

農暦二月初四。朝のニュースで新加坡・李光耀閣下逝去を知る。南洋のシンガポールはアタシにとつて幼いころ「ザ・タイガースのジュリーが長髪が理由で行けない国」が最初のインパクト。長髪禁止では長髪に憧れてゐた私はシンガポールは「怖い国」の代名詞。当時、北朝鮮は「この世の楽土」だつたのだから。香港に追ひつけ追ひこせのシンガポールが経済的にかなり脚光浴びたのは80年代後半のNICs新興工業経済地域、その後のNIES)で東京では六本木のWAVEでDick Leeの音楽がウケてゐた。アタシにとつてはRoyston Tan監督の2003年の映画“15”が一番鮮烈なシンガポール社会底辺の印象。いずれにせよ南洋のこの港町が英国統治から戦後のマレー連邦経ての独立、その後の経済発展……その国父の死。李光耀は元々は新加坡独立は意図してをらずマレー残留派だつたといふ見方もあり、マレー連邦がシンガポール独立を認めた、もう勝手にやってくれ、と三行半つきつけたのも歴史の不思議で、もしマレーシアの決断が違つてゐたら今日の新加坡も李光耀もないわけで。今朝、息子で首相のLee Hsien Loongがさすがに窶れた表情でのスピーチでマレー語のあと中国語にスイッチした際に、それまで淡々とだつたものが「由始至终,李先生最关心的就是新加坡的存亡」といふ下りで嗚咽。本当に「存亡をかけた」だつたのだらう。“The nation reflected the man: efficient, unsentimental, incorrupt, inventive, forward-looking and pragmatic”(FT紙)。だからそのためには自由だらうが民主主義だらうが国家経営に不都合なものはダメ。わかりやすい。何しろ国家建設といふ目標で
Even among people who knew little of Singapore, Mr. Lee was famous for his national self-improvement campaigns, which urged people to do such things as smile, speak good English and flush the toilet, but never to spit, chew gum or throw garbage off balconies. (NY Times)
なんてレベルから始め、効率性重視で最初に政府役所に冷房つけることだつた、と真摯に語る国父。カリスマ性と威喝のユニークな同居。1950年代に1人あたりのGDPがUS$500だつたの国を100倍にまで成長させ日本を凌ぐ所得レベルにまで達したのだから。だが今になつて思へば2011年の総選挙で国民がそれまでのPAP独裁に反対票を投じ李光耀がminister mentor(内閣顧問)辞しLee Hsien Loong首相が民生見直しや改革約束したのは象徴的出来事。もう高齢だから、それが死期早めたわけぢゃなからうが強権で人民行動党安泰のうちに他界すべきだつた……だが現実は厳しい。経済成長も3%を下回り急速な高齢化と少子化、労働力不足は日本より先進国病。これからだうなるのかしら。

沖縄の自治。もはやこんな日本から独立すべき。集団的自衛権行使可能にする関連法案を今国会で成立に反対が51%で過半数占め賛成は31%(日経)。明らかに国民の世論から乖離した自公の戦争への道。自衛隊を「我が軍」と国会(20日参院予算委)で呼んだ晋三である。