富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

日月潭へ。The Lalu、涵碧樓

fookpaktsuen2011-09-25

九月廿五日(日)晴。朝イチでミッション一つ済ませY女史宅でテレビつけると投資で5チャンネル、仏教説教だけで4チャンネルもある乱立気味の台湾テレビ事情。仏教の法話で国語、閩南語に加へ日本語の字幕あり。高尚な和尚の法話を日本向け、でなく宜蘭の仏教系集会の録画で視聴者の多くが高齢者で日本語は原住民の老人へ、のサービスかしら。午前十時に台中市内のY女史のマンションを出てY女史運転の自家用車で一路、日月潭へ。市の西から南、東南へとぐるりと環状高速を走り大雨のたびに氾濫して大きな被害となる川沿ひを国道14線で埔里に上ると思つてゐたら、こんな山中にも高速道路(6号線)開通してをり驚くばかり。早くて便利だがどこかつまらない。当然、埔里から南投に遊ぶ行楽客の自動車量も増える。台中市内から一時間半余で日月潭へ。The Lalu、涵碧樓に下榻。元々は戦前、日本人の建てた木造の宿泊施設。大正時代に皇太子として台湾行啓の先帝もこゝをお訪ねに。戦後は蒋介石がご用邸として避暑に休養にと頻繁に蒋介石日月潭訪れ日米、要人の来訪も少なからず。吉田茂君も1958年だつたか此処に遊ぶ。当時の涵碧樓は取り壊され建てられたのがこのThe Laluなるホテル。隣りに木造の、蒋介石の執務棟は現存。部屋が宛てがはれるのは午後三時。宿泊者専用のラウンジで冷たいお茶一服してから遊覧船波止場近くへ。日曜でかなりの人出、殊に大陸漢の観光客多し。2004年にはまだボンネットバスが走つてゐた南投客運バスも近代化。観光客相手の食堂や土産物屋が並ぶなか娥姐の山湖といふ食堂に飰す。龍髭菜といふ野菜は台湾では少し甘いマヨ、ネエズ(台湾語)つけて食べるのが人気だがアタシらはおしたし風に。榎茸、椎茸、小海老。台湾麦酒と38度の高粱酒。宿に戻りお部屋に通される。バルコニーから日月潭一望する広い套間に寝室がもう一つ連なる部屋。Boseの音響。のんびりと寛ぐばかり。黄昏にスパに一浴。広い風呂場の浴槽に浸かりアタシ一人で日月潭が日暮れて暗むのを眺める。こりゃ贅沢。ホテルの充分に正確な日本料理屋で懐石いたヾく。台中県霧峰郷の農協が酒造の「初霧」なる日本酒。部屋に戻りY女史持参のスーパーいいちこをロックで数杯。