富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

曼谷に上洛

fookpaktsuen2010-12-27

十二月廿七日(月)朝夜明け前に目覚め七時から朝食は口開けの客で十時前まで旅舎で寛ぐ。ホテル手配の自動車でチェンマイ空港。十一時すぎのタイ航空機で一路、曼谷。ここ数日、旅のあひだは東海林さだおの「〜丸かじり」を文春文庫で数冊眺めてゐたんだが、これは週刊朝日の人気連載で連載で楽しみに週一で読むから面白いのであつて頁を捲つて読むと「これでもか、これでもか」と個性的な発想と筆致も「あれ、同じパターンだよな、いつも」と思へてしまふと食傷気味。曼谷のスワンナプーム空港着。電車マークと"Train to City"の標識に連られ空港地下でエアポートレールリンクのエクスプレスに乗車で15B(40円)といふ料金に開通記念割引でもこんなに安かつたかしら?と怪訝に思つたらホームに下りてCAT(マカサン駅)直行のエクプレスではなく各駅停車のシティライン。まぁいゝか、でのんびり。途中の駅(4駅ある)のいずれかでエクスプレスに追ひ抜かれるのだらうと思つてゐたが、それもない。エクスプレスなら途中駅通過で15分のところ20数分で、つまり各駅の停車時間が加味される程度のやう。空港に向かふ下りも最初にエクスプレスが走つて来たが、その後は少なくても二本はシティラインの列車が続き、前者が100B(正規料金は150B)で20分だか30分に1本なのに対して後者は空港からマカサンの同程なら30B(同40〜45B)で5〜7分に一本なら(よほど絶妙のタイミングでエクスプレスに乗車できる幸運でもなければ)総じてシティラインの方が速くて安いといふことになる。香港も空港行きのエアポートエクスプレスと東涌行きが同じ路線を走るが前者も12分に一本あり後者は8分に一本はあり安いが空港に乗り入れない、といふ絶対的な差別化があり、それに比べると此処は「タイ的な」緩さ。しかもマカサン駅のCATは場所が不便。箱崎のT-CATも営団半蔵門線が水天宮駅まで延長され、それに直結するまで不便を感じたが、それ以上。MRTのPhetchaburi駅と乗り換への表示もあるが、駅を出て荒涼とした開発予定地(つまり原つぱ)のなかを抜け自転車も走る高速道路のやうな片側四車線の自動車道を旅行鞄を引きづり命がけで渡りMTR駅への地下道に入り……しかも距離は京成の堀切菖蒲園東武伊勢崎線の堀切くらゐ距離感がある(川は渡らないが)。なんだか東海林さだおのやうにくどいが、さういふこと。これぢゃ今後も利用者増はそう易々とは期待できないだらう。アタシらはホテル(Swissôtel Nai Lert Park)までさすがに少し距離があるのでマカサン駅からタクシーに乗つたがAsokの交差点に南下する道路がひどい渋滞で運転手が「ちょっと遠回りしてもいゝか?」とマカサン駅の北側の湿地帯をぐるりと西に回り2倍以上の距離を走りホテルに到着。空港に到着してから二時間(昔の高速道路もなかつた頃を思へば、夢のやうだが)。このホテルはタクシーの運転手も「Swissôtelってどこだ?」と悩むのはホテルの改名が頻繁な曼谷らしいが、場所を告げると「あ、昔のイルドンホテル!」と。さう、正解。舊ヒルトンホテルでHiltonの頭のHが消へタイ語的にはトンがドンになるらしい(アタシにはさう聞こへる)。ヒルトンといふのは60年代に開店したホテルが老朽化すると一等地のそれを売却して新しく移転するのは赤坂の(当時、芸能人の結婚披露宴が多かつた)東京ヒルトンがキャピトル東急となり新宿に移つたのと一緒で今の曼谷ヒルトンはミレニアムヒルトンだかおかしな名でチャプラヤー川の対岸にある。で、この舊ヒルトンは(少なくてもSwissôtel Nai Lert Parkと呼ぶより舊ヒルトンの方がしつくりくるが)アタシがいぜん何度かチッロムのインターコンチネンタルホテルに泊つた際に高層の客室やジムから東北を見下ろすと眼下に広い緑地が広がり英国大使館及び公邸で、その向かふに低層のホテルがやはり緑の中にあり曼谷Y氏に「あそこが舊ヒルトン」と聞き次はあそこに、と思つて三年半ぶりの曼谷。チェックインの際にZ嬢が「なんだかジェームス=ボンドが泊るホテルみたい」と。勿論、Z嬢のいふ007はショーン=コネリーで、時代的にはZ嬢の指摘は正しい。実際にかなり老朽化してゐるが、ホテルといふのはおかしなもので香港でもハーバービューに対して尖沙咀のビルしか見えぬ部屋を「アーバンビュー」などと称するのと同じで、このホテルも舊ヒルトンの頃から殆ど改築してをらぬ部屋を「クラシック」なんて呼んでゐる。たヾ幸ひなことは腐っても鯛は鯛。かなり広い緑地とプール、五階建てといふ低層の建物はバルコニーつきで部屋もそれなりに広い。しかも老朽化で他の5星に比べ料金はお手頃。年寄りには何だか東京オリンピックの頃のモダニズム建築の新しさを彷彿させてくれ、どこか落ち着きもする。夕方、日没の頃までホテルで寛ぐ。気温は摂氏29度もありプールサイドにゐると夏のやう(それでも最低気温が20度くらゐなので曼谷的には立派な「冬」の由)。日暮れてZ嬢とようやく外出。この三年半のあひだにBTSスカイトレイン)のカードが磁気カードからオクトパス化してをり(磁気カードの清算期限もとっくに過ぎてをり)先づはプロンチット站でSkySmartPassを購入。チッロムの交差点は今年春の赤シャツ隊の「暴動」の一大拠点で、半年余でかなり回復したとは聞いてゐるが……先づは香港人らしく交差点の四面仏参拝。セントラルワールドプラザの南部分の高層は暴動で焼けて復旧作業中。よく買物した超級市場のビッグCも焼けてなくなつた。それ以外は市街が暴徒化したといはれなければわからないだらう。これほど平穏な風土の人たちが何が政変なのか何が権力闘争なのかアタシにはわからぬがポイントは「王制」なのだらう(日本も政治的には天皇制が(実は今でも)重要なファクターだが、それ以上に)。ラーマ九世(現・プミポン国王)のチャクリー王朝がどうなるのかしら……などと恐ろしい排ガスの大気汚染のなか交差点を北上し運河を越へ、いつもの名前知らずの食肆でカオマンガイ海南鶏飯)を食す。名前知らずも何なので、初めてKai Ton Pratunamと知る。食後に路上の果物屋ジャックフルーツ購ひ旅舎に戻る。明日の健康診断のため二更のうちに断食始め。ホテルは広い庭の池でカエルは賑やかだしチッロムの方で半夜三更になつてもまだカーニバルのような大騒ぎが聞こえ曼谷の夜は眠ることなし。

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