六月七日(日)快晴炎熱。昼まで自宅で机に凭る。昼すぎ太古坊のEast Endにエール一飲。昼過ぎの閑かなパブはガラス張りで明るい外を眺めて厭きず。整体按摩。夕方、西湾河。Z嬢と電影資料館で大島渚監督の『少年』観る。この「向川喜多夫人致敬」特集は、くどいが向川喜多(むかひがわ・きた)夫人ではなく川喜多かしこ女史に敬意向けた映画特集。アタシは例えば佐藤忠男先生の『日本映画300』に載るやうな作品はほとんど、而もその少なからずが香港で観ているつもりでいたが1969年のこの『少年』は見てゐないやうな、あるいは見たことすら忘れてゐるのか、鳥渡、怪しい。で映画が始まるとカラー作品であること(イメージは白黒)、物語が高知で始まること、でやつぱり見ていなかつたのだ、と判明。だが有名な映画で物語も子ども使つた当り屋の実話、スチール写真などで見たやうな印象だつたのだらう。親が子を使つて当り屋を生業とし健気な子の描写……とそれは良い。が今かうして制作から40年後、物語の背景にやたらと映される「日の丸」が映画の中でモチーフとして無意味に思へてならず。父(渡邊文雄)が元傷痍兵である、といふ、それが国家とこの家族の関係でこそあれ、当り屋する家族の物語と「日の丸」は本来何ら関係もないこと。戦後の左翼の時代の、左翼を代表するやうな映画監督だから左翼的ぢゃないといけなかつた、それだけのために使はれては「日の丸」も難儀。1969年当時はタイトルバックの黒い日の丸も映画の中で高知から北九州、北陸、北海道までの都市が日の丸だらけであることに観衆も何か政治的意味を感じたのかも知れない。が結局、80年代に右翼に対する意味での左翼といふ政治思想がコケた時に左翼のその大島渚といふ監督が単にお笑ひ番組の常連ゲストとなつてしまひ、お笑ひ芸人が「世界の北野」と呼ばれる映画監督になつてしまつた。あの映画に映す程度で「日の丸」=国家に何か対抗している、と思つてゐたことぢたい、なんて甘かつたのかしら、と40年後にアタシは思ふのでした。小腹が空き太安樓は基記水電工程の牛雑を一串頬張り西湾河の湾岸を筲箕灣まで日暮れの散歩。筲箕灣の東大街は最近「平民食街」なんて評判で食肆ずらりと並ぶ盛況。冠泰と云ふ客の入りの良いタイ料理の安食堂で海南鶏飯を食し筋向かひの甜品老媽なる甘味屋にかき氷と緑豆沙を食す。
▼一週間前の週末のFT紙を今ごろ読めば、ふだんなら Lunch with the FT といふ、取材対象の人のお気に入りの店で昼食をともにしながら語るを聞くインタビュー連載あり、が今回は Tea with the FT なのは取材の相手がかつて趙紫陽側近で近ごろ生前の趙氏の発言をまとめ『改革歴程』といふ題で出版の鮑彤氏だから、で北京の自宅で当局の軟禁下におかれ外出もまゝならず、しかも相手が外国メディアの記者とあつては、で鮑氏の自宅訪れた、ってそれだけでも破格だが、で自宅でお茶を飲みながら。鮑氏は六四当時、軍を掌握してゐたのが鄧小平なのだから六四での学生市民虐殺の責任は鄧小平にある、と厳しく評し、歯に衣を着せず「中国共産党はマフィアのやうなもの」と断ず。それはそれで良いがマフィアが国家政府ほどの絶大な権力を握つてをらぬ、と思へば「中国共産党はマフィアのやうなもの」といふのはマフィアに失礼だらう。この取材後、六四から二十周年で政治的敏感な季節、鮑氏は当局から「国内観光旅行に誘はれ」北京離れた由。ところで数日前に読んだ六四の分析(信報だつたか)で興味深かつた話は、六四で学生市民の大量殺害があつたのは事実として、その行為がどういふ「意外」の結末だつたのか、といふもの(香港の広東語で「意外」は事故の意、事故がいくつかの事象が偶然に重なつた結果、予想だにせぬ事故=意外が起きる、といふ意味で言ひ得て妙)。その一つの「意外」発生の状況とは、
天安門広場に居座り抗議活動續ける学生たち。党中央の決定で抗議活動の強制排除の決定が下る。軍や公安当局者が学生領袖と天安門広場の学生解散を談判。これに応じぬ場合、武力行使も辞さぬ、と警告。広場の学生らは六月四日未明、天安門広場から東長安街へと動き出すが東長安街には北京站方面から市民デモの集団あり。これを東から追ひ立てる一師団。で市民デモは東長安街を西へ、天安門広場の方への追ひやられる。天安門広場を離れようとした学生らは市民デモの流れに逆らへず復た天安門広場へと戻ることに。広場では学生らの自主的な解散を期した公安当局はまた引き返してきた学生らを見て「やはり徹底的に抗するつもりか」と合点。ならば武力行使も辞さぬ、と判断。北京飯店の前あたりの現場は取り乱すばかり。広場を押へようとする公安と東から長安街を広場へと向ふ師団に挟まれた学生と市民。混乱状態となり軍は発砲、戦車が踏み込み死傷者多数の惨事。
……といふやうな話。けして「虐殺はなかつた」とか「人民解放軍は人民を殺すはずがない」等と事実を否定するつもりは毛頭ない、が意外とかうした予期せぬ状況のなかで最悪の状態になつたことも充分に考へられる、といふ話。
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