富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-02-09

二月九日(木)晴。養和病院で物理治療済まし帰宅して晩にカレーライス食す。カレーの時はジャックダニエルのロックがいい。酒で突然思い出したが、唯霊氏が旧正月には、と紹介するのが陳年紹興酒の八年物のシャンペン割り。当然、高級品でなく気軽なシャンペンか発泡葡萄酒でもよい、とするが、これがなかなかの面白い味わいだそうな。
朝日新聞の文芸欄にサイデンステッカー、ドナルド=キーンの両氏の回想録相次ぎ刊行され「川端、三島の秘話明かす」とあり。ドナルド貴院氏より、ノガミでは好事家の間では知れた顔の「池ノ端のガイジン」斎田ステッカー氏の三島秘話に何か?と期待。だが斎田氏は川端康成が谷崎の口語訳の源氏に納得できず自ら口語訳に挑まむとせし事など挙げ、また、川端のノーベル賞受賞講演「美しい日本の私」の翻訳の際に“Japan, the Beautiful and Myself”と訳したが何故「の」だったのかが今もってわららぬ、と語るそうな。谷村新司にでも尋ては如何だろうか。で斎田氏よりも貴院氏の川端のノーベル賞は「何かの行き違いだったのかも知れない」のほうが面白い。当時の国連事務総長ハマーショルド氏が三島の『金閣寺』絶賛したことなどにより(確かに今になって思えば『金閣寺』など北野武の映画“Dolls”などと同じでかなり外国での賞狙い)スウェーデンアカデミーは三島にかなり傾いていたのが最後に逆転して川端が受賞。貴院氏はその二年後に「私が川端を勝たせた」と自信たっぷりに述懐するデンマークの作家に遭遇。この人、日本文学の権威と北欧での世評とは裏腹に貴院氏には日本文学など実際にはほとんど読んでいない人で、この人がアカデミーに対して「三島=若い=左翼」!と否定的な見方から川端を推挙(真相は不明)。貴院氏は三島が受賞逃したことは失望が当時、相当なもの、としつつ、そのアカデミーの選択を「現在では、理由はともあれ賢明だったと信じている」と。かりにノーベル文学賞をば三島が受賞していれば市ケ谷蜂起も起きず、したがってまだ存命。多くの文学作品を残すことになるのか老いて醜悪さを披露し続けることになったのか。ところでこの記事、最後に貴院さんが朝日新聞客員編集員であった当時、司馬遼太郎に「朝日の写真食堂で食事をしたら朝日の社員に好影響を与えるだろう」とアドバイスされドナルド貴院氏たる人が二、三度試した、という逸話を紹介。それを朝日のこの記事は「ほほえましいエピソード」と。唖然。司馬先生の朝日の体質見抜いた半ば嘲笑のアドバイス。朝日にしてみれば何処が「ほほえましい」のか理解できず。
▼今週号の週刊文春に小泉三世の皇室改革・不敬言行録という記事あり。皇室典範改正を「郵政よりも簡単な問題」と言い、皇居での新嘗祭は陛下による祭祀の最中に「暗いから見えないじゃないか。電気をつければいいじゃないか」と言い、他の宮中祭祀でも陛下による神事の最中に「陛下は、中で何をしているんだ?」と宮内庁幹部に尋ね、その幹部は「畏れ多くも、私は申し上げることができません」と畏まったが、祭祀の後の直会(なおらい、お供えを食す)でも同じことを口にし同席者も憤慨とか。これに対して「敬い」とは何か?の話に挙げられるのが島村宜伸(元農相)の感慨。それは先帝の大喪の礼の時のことで島村大臣の目の前におられた浩宮殿下が「垂直に立った烏帽子が儀式の間中まったく動かない。中曽根先生に指さしたら(大勲位も)やはり気づいていて『いや驚いた』と言う。あの寒さの中、全然動かないでいる人など、この世界にはいない。私たちは絶対に真似ができない、これこそ伝統の儀式です」と語る。その大喪の礼は粛々とした儀式に外国の大使など感慨に涙した方もいたそうな。平沼赳夫もこの小泉三世の不敬には呆れる。01年の参議院選挙の応援演説では恐れ多くも「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」と玉音放送での先帝の言葉をたかだか選挙応援に用いる。典範改正では「有識者会議で皇室の意向を聞いているはず」と発言し自らの首相任期中の改正のためには天皇の政治利用も可。京大の中西輝政ですら「首相の発言を聞いていると、女性天皇男児を出産すれば、また男系に戻ると勘違いしている節がある」と指摘し、皇室をまったく理解しておらぬ小泉三世に改革を語る資格はなし、信長でも天皇家には平伏し忠義を尽くした、小泉参世は明らかに驕る平家、と手厳しい。
▼河野三世・太郎君のメール「ごまめの歯ぎしり」に小話一つあり。予算委員会の真っ最中に紀子様ご懐妊のニュースを聞いた某大臣秘書官、あわてて「秋篠宮殿下ご懐妊」と書いたメモ、大臣に差し出す。大臣それを見て「ん、そりゃ男系だな」。
▼聖バレンタイン日など宗教行事の商業化は北京も同じ。万里の長城に999元で永久保存の愛のメッセージ刻めます、という商売現れ顰蹙。何千キロに及ぶ万里の長城のうち居庸關という北京郊外の女性の発案。商魂逞しといえども世界遺産の長城の破壊行為はさすがに気が退けたか風化著しい壁面に大理石板埋め込み、そこに刻字。この工程も糾弾されようが何故にこの女性が其処まで勝手に出来ると考えたかといえば数千キロの長城をさすがに国家政府が修復保存する予算もなし。長城のある近くの集落は長城を観光開発することで観光収益を上げ収益で長城の補修。北京郊外の八達嶺など最も有名なる観光スポット。で居庸關のこの女性も自称「居庸關長城管理処」の「共築愛情城工程弁公室」の職員だそうで、放置していれば長城の石壁、土壁に観光記念と刻名の客あとを絶たず寧ろ刻銘板設けることは原跡の保存にもなる、と主張。
▼小泉メールマガジンで外相の麻生君(この方、考えれみれば妹が三笠宮寛仁親王殿下妃であった)曰く「外交で使う「武器」は、一にも二にも「言葉」です。日本の外交も、この言葉というものを更に磨いて、内外でしっかり日本外交を理解してもらおうと、思っています。外国の方たちに日本の意思を分かってもらうのはもちろん、国民の皆さんにもよく理解してもらわなくてはなりません。それを土台にして初めて、ぶれの少ない外交というものを進めていけるからです」とは笑止千萬。言葉の磨きすぎによる外交のブレは如何に。そのうえ「日本は、どういう強さがあるのか知らないのでは、話になりません。就任以来、スピーチなどを通じて、そこをなるべくハッキリ言おうとしています」と自信ありで余計に困ったもの。外交毀す外務大臣を据える首相の奇行は今更驚かぬがそれを許容する国民にも責任あり。