富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

読売新聞香港版休刊

fookpaktsuen2018-08-31

農暦七月廿一日。曇天。小雨。ほんの少し涼しくなつたと思つたら昨夜から胃腸風邪の気配。昼前から西湾河の電影資料館で許冠文(マイケル=ホイ)の1978年の映画『賣身契』見る。日本では翌年に『Mr.Boo インベーダー作戦』で話題に。テレビ局が舞台。ネズミテレビの専属でバラエティ番組のバックダンサーや奇術の標的など捨て役ばかりのマイケル。路地の電気屋でいつか発明王になりたい弟のリッキー。シンガポールから来港の手品師サミエル。サミエルはライバルテ局のネコテレビで(専属契約違反だが)クイズ番組の司会したらリッキーの発明した爆笑ガスのおかげで客席は大爆笑、それでネコテレビから専属契約持ちかけられネズミテレビの社長室から専属契約書盗もうとしてのドタバタ喜劇。相変はらず今になつて見ると他愛ないお粗末コントの連続だが当時あれほど笑つたとは。劇中に出てくるホテル・華都酒店がそれなりに立派で目の前に公園あり。どこかと思へば公園はヴィクトリア公園で、この華都酒店はその後、ホテル日航となり柏寧酒店(パークレインホテル)を経て今はPullman Hotelである。胃の消化今一つで晩におじや*1。津のM姉からいたゞいた大阪は岸澤屋の黒豆甘煮頬張る。
▼正力の新聞は読んでないので知らなかつたが読売新聞の国際版が本日で休刊の由。海外印刷は東南アジアは曼谷、香港と米国紐育で3カ所で休刊は一斉に。香港でもかつては日本から空輸の新聞が届き朝刊を夕方配達。中環と尖沙咀のスターフェリー前の新聞スタンドでは飛行機で乗客が読んだ新聞をアイロンかけて?再販してゐたのも懐かしい。90年代のいつ頃だつたからか香港でOCSが朝日と日経(いずれもOCSの親会社)の現地印刷と朝刊での配達始め、読売もこれに負けじと香港で国際版発刊。当時の読売の「私も読んでいます、読売新聞」は香港で著名な?邦人が出て読売嫌ひのアタシらは良心の呵責で「私は読んでいません、読売新聞」のチラシ出したら可笑しいよね、なんて話してゐたもの。当時は各社とも香港に香港版ページの編集部を置きオリジナル色出してアタシも朝日新聞の日曜版でエッセイなど書かせて貰つてゐたが(こちら)やはりネット社会化で新聞購読減少で朝日がまず現地ページ取り消し。日経は月刊で付属誌を出し、こちらも富柏村の連載(こちら)あり。当時は富柏村もライターだつたのである。日経もこの日経Galleryは廃刊。読売新聞だけが国際版に香港独自の頁を設け日本人学校など邦人子女の作文掲載したり、で頑張つてゐたがOCS頼みの朝日と日経に対して読売は香港で営業、印刷、販売する子会社を作り、それを国内の地方の読売新聞販売会社に任せるといふ形。OCSの朝日と日経は残るのかもしれないが購読者減はすさまじいものあり。アタシのやうな新聞読みも専らネットでの紙面ビューワーで新聞「紙」からはかなり遠ざかつてゐる。

*1:「おじや」の「お」は接頭語、「じや」は煮えるときの音や様、米飯を一度洗ひヌメを取りさらりと仕上げたものは「雑炊」だとか。