富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

七月五日(火)酷暑猛々。郵政法案可決。5票差で小泉の築地のH君と我の組閣人事案では亀井静香君(財務)、平沼赳夫君(国土交通)、衛藤晟一君(官房長官)が反対、野田毅(外務)、高村正彦君(防衛)が棄権と、主要閣僚が挙って小泉三世に抗すはこの内閣らしさ。自民党幹事長役の古賀誠君も当然棄権。学校でも奇人変人であまり相手にされてなかった小泉君が生徒会選挙に立候補してみたら、それまでの生徒会執行部があまり非道かったので「あいつら落とすには小泉に投票しようぜぇ」とそれだけが目的で小泉君に投票集まり結果、小泉君当選。前執行部への反発から小泉君が人気者に。でも小泉君が生徒会長になってみると実際に何ができるのか誰もよくわからない。県庁裏の護国神社だが参拝して地域の人には「偉い」なんて言われてるが、そんな評価得るために小泉君選んだんじゃなかったのに。実体のない小泉君人気が続く筈もなく「もうそろそろ普通の人でいいよ」と生徒たちは思ったのでしたが、小泉君そういえば選挙の時に「購買部の民間委託」とか言ってたな。小泉君に投票しちゃったのは自分たちだし生徒会長辞めてもらうには購買部の民間委託くらい認めてあげてもいいか、みたいな。その程度の認識で国家の財産たる郵便事業が蔑ろに。自民党西川京子先生など師と仰ぐ亀井静香先生の意も汲めずに「郵政民営化には反対だがこの大切な時に解散は避けたい」とまぁご立派。郵政民営化衆議院解散とどちらが大切かも理解できておらず。解散すれば自民党は師・亀井先生などを中心に小泉の弱点であった外交と対財界関係に強い内閣誕生なのに。自民党ですらこれだけの造反があつたのに都議選で全員当選の公明党はこの郵政法案に与党として賛成。自民党より小泉内閣を支持する公明党の責任重大。いずれにせよ最大の矛盾は自民党郵政民営化は公約としているのだから党の公約に賛成できぬのに自民党に籍を置く代議士らのいやらしさ。憲法改正も党是なのだから護憲派は離党すべき。この党の最大の矛盾であり最大の強さ。近代以前の政治。本日。晩に上環に工作任務あり早晩飯で中環Jubilee街の金華で馳名の叉焼飯を食らふ。実は「乾坤容我静、名利任人忙」はこの店に掲げられた名句。唯霊氏が昼前に小腹空き魚片粥をば食そうとこの金華訪れれば早市の営業止め昼から開店とあり驚き懇意の店主(蘇慶氏)に尋ねれば「乾坤容我静、名利任人忙」との仰せ。ちなみに英語では“Nature allows us tranquility and profit makes people busy”と店の紙製のテーブル敷きに書かれてあり。で金華だがかつてはそのへんの現場のオヤジなどに湧く焼?店で早粥も好評。だが数年前に店の規模半分として素っ気ない店が「まるで欧米のチャイナタウン」の如き中華趣味となり店員も腰に競馬新聞の啣え煙草のオヤジが失せ観光客が好きそうな「きれいな」店となる。久しぶりにこの店の例湯と叉焼「皇」飯食す。美味。これだけの叉焼飯をこの場所でHK$30で供すは立派だが出来すぎの「蝋ぶり」。常連らしい客が叉焼飯と注文して「痩肉〜!」と指定したのも納得。晩十時に任務完了。バーRに寄りウォッカトニック一杯飲む。旧知のA君が日本から来港の友人ら連れて来る。その日本からの客人に「若い頃から香港なんですね」と言われ、つまり「年寄り」と烙印押されたか、と事実なのだが具体的にこう言われると骨身に浸みる。バーは三十分を合い言葉に「それじゃお先に」と帰宅。バランタインの17年一杯。柳治男熊本大学教授)の『<学級>の歴史学』最後の数十頁残っておりようやく読了。世間の懐疑的な余でも読んで気が重くなるほど常識覆す歴史。もうSF小説やピンクフロイドザ・ウォールのなかで歌ってること、といえばそれまでだが、学校にとって学級は「あって当然」と思うが中世の時代まで学校に学級は存在せず。学校は(日本の寺子屋や幕末の塾など見るまでもなく)一つの教場(Class Room)であり、そこに集う子どもの年齢はまちまちで教授のカリキュラムなど存在せず。<学級>は近代の学校「だけに」特有の組織。同じ年齢の子が学級の担任教師の指導を独立した教室という場で一年間変わることなく「生活」する場。その学級が今では自明視され「児童生徒は学級に馴染むはず」とか「学級は子どもにふさわしい場」という予定調和が常識となる。学級に馴染めない子は(学級というシステムに問題があるとは誰も思わず)その子の社会性欠如に原因があった、と思われる。学校について「子どもの自由を奪う」「ゆとりがない」「偏差値教育反対」といふリベラルな側からの非難や逆に右翼からの「自由放任すぎる」「道徳教育の重視」「心の教育」といった要請。その左右どちらかの注文も近代国家の教育のシステムに乗ったもので学校の教室という単位の存在は疑いもない前提。学級は団体旅行のようなもの。なぜこの<学級>が生まれたのか。一つは経済的合理性。最低の費用でもっとも多くの者に知識を伝達する方法がこれ。また近代になり労働力の育成のため初等教育が公共の手によって管理される国民教育制度として発生し<学級>がそれに果す役割。そして学級への共同幻想。学級が共同体となり「仲間づくり」「集団づくり」「支え合い」「仲良し」「励まし」そして何よりも奇妙な「思い出づくり」など<暖かいイメージ>が生まれ児童生徒の集団への帰属感を高める。柳氏はビクトリア朝の英国でどのように義務教育が生まれたかの歴史を綿密に紹介する。国家の教育への介入の始まり。軍隊や医療機関と同じ権力装置としての近代の学校。当然ここはフーコーの視点が重要になる。学級は近代化を目指す全ての国でグローバルスタンダードを整備した組織として義務教育制度の過程で整備されるのだが、それが近代以前の社会の自然に成り立つ集団から異質な組織であることは明白。疏外された場。近代以前の社会では「小さな大人」として扱われていた子どもは学校の学級において同年齢集団に分類され外界から隔離され学習に集中する生徒に変容する。試験。競走。中世までに教会が「発明」した被虐愛が学校に齎される。「私には怠け心がある」「努力が足りない」という反省とそれい打ち勝つ精神の養成。司教に変わる教師の存在。日本においては如何か。寺子屋はあつたが欧州のような教会(宗教団体)による学校組織化の伝統がないところに突然、国家(明治政府)が近代の義務教育を導入。農村秩序の真っ只中での学校の開設と学級制の定着。正確には当初は能力別の等級制で始まり明治二十四年に学級制が導入されるのだが興味深い事実はその前年の二十三年に教育勅語発布。これは個々人の知育中心の教育から訓青、日本国民としての一体性を涵養する道徳教育中心とする教育への変異。国家の構成員たる国民の要請と近代化社会にふさわしい規律化された人間の育成。そして道徳教育と並ぶ大切な体育。クリスチャンである森有礼らによる身体行動の改良。運動会。地域社会を学校に招いての運動会は当然、生徒が整然と隊列組んで行進し寸分乱れぬ行為が大切。そのための訓練。学級活動の充実。学級新聞、学級通信、学級の歌……本来、学習活動の場にすぎぬ学級がここまで多くの活動を有する例は他の国家にも見られず。なぜここまで日本では学級が重視されるのか。前述の通り前近代の農村社会に近代の学校と学級のシステムを無理に導入する際に伝統ある学校の地場ないため、より強力な装置が必要であること。師範学校出の教師。教育指導上の手段であるはずの学級が共同幻想で「よりよい学級」という目的と化す。教育だけが使命であるが学級担任教師の子どもの心中から家庭にまでへの介入。全霊を傾けた指導。それと親の子への教育の放棄。学級に存在するなかでの自己制御による集団の中での満足感。むすび。人は教育についてソフトウェアのことには関心をもつが学校という組織の学級というハードウェアについては疑いがない。教師もかつては商人として授業料を集める自由業であり、買い手(授業を受ける人)を求めて各地をめぐる放浪人であつた!事実。それが欧州では十三世紀頃に定住し俸給貰うようにあり組織の一員となる。そのような歴史を有する教師が学校という組織で義務教育に指導者として据えられることの不自由。教師が労働組合を成立させる要因も明白。その生徒ばかりか教師も自由が剥奪された学級において「いじめ」や学級崩壊、殺人まで問題がおきる。なぜ問題が起きるのか。学級という仕組みぢたいが無理に人をその事前制御の中に人を追い込み感情を操り各人に自己抑制を強いるもので、その中にある者の精神的、肉体的バランスを壊しているから。そのバランスの壊された者が破壊的活動に出るのが「いじめ」や学級崩壊。学校で問題がおきれば学校の問題となり学校外で起きた子どもたちの問題も教育問題とされる。しかしこれは学校や教育といった本来の手段の問題なのではなく、心の病でもなく、社会の組織じたいの問題。……著者の辛辣な言葉が続くが著者はけして近代の教育を否定するものでも、学級廃止を叫ぶアナーキストではない。国立大学の教育学部の先生だ。学級は本来、基礎的な学力を身につけるために維持されればいいわけで、学級制は多様な学習形態のなかの一つにすぎない、という認識の大切さ。それが近代国家において義務教育を効率的にするために無理にシステム化、重視されたことの弊害。国民も無頓着に学級を共同体として理解し人間関係を育む場としてとらえ、その結果、子どもに多くの負荷を与え無力化、いじめ、不登校といった問題を生む。今後どれだけ学級制が有効なのか。日常生活のいろいろな分野で脱共同体的な生活様式が一般化するのに学級だけが依然として共同体的性格を濃厚に有する矛盾。中学や高校など教室すべてを教科別教室に変えて生活本位の学級制を解体すること。生徒個々人の選択可能性をさぐるべき、と柳教授。保守反動教育推進の方からは「なぜこんな者を国立大学が税金で面倒見てるんだ!」だろうか。
▼中国で毛沢東に瓜二つで『開国大典』や『大決戦』など数多くの毛沢東映画に出演の俳優・古月が心筋梗塞で逝去。享年六十六歳。毛沢東中共領袖とならねば、この俳優もただの人。ちなみに真物の毛沢東の六十六歳は1959年でブリブリと政治闘争続ける最中。

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