富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

第九


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香港では市区感染拡大でもはや感染源辿れず。9月の立法会選挙の立候補締め切りが今月末で反政府派候補への圧力日増しに高まる。
本日、農暦六月初六。梅雨は明けず。県立歴史館で夏の特別展「戦争と茨城」已経開了で出かけようとも思つたが午後の予定を考へると十分な参観時間もとれず折角行くなら見たい史料もあり今日はあきらめ市立図書館へ。ソーシャルディスタンスとつた閲覧室は勉強の学生さんで爆満。開架図書の一角の椅子で読書。今日はこれから芸術館で「“吉田秀和初代館長の好きな曲”を聴く」でベートーヴェンの第九。『私の好きな曲』の文庫本も吉田秀和全集も香港にまだ置きつぱなしなので『私の好きな曲』を借りて第九の章を読む。私立図書館には「芸術館」の専用書架あり秀和さんや小澤征爾森英恵といつた方の書籍が並んでゐる。この秀和さんの記述のなかで白眉は第九の何がすごいのか?を「後期のベートーヴェン」での和声の変則から分析してゐるところ。ここは多少難しいが何度読んでも面白い。4頁ほどコピーとり線を引きながら熟読。
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歩いて5分ほどで芸術館へ。幼稚園から中学生まで住んでゐた「町内」なので懐かしいかぎり。今日の第九は第九で最も有名で歴史的なフルトヴェングラー指揮で バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団のそれ。今日の解説は芸術館音楽部門主学芸員の関根哲也氏。これまでのこの企画同様に演奏はLPを聴くものだと思つてゐたら今日はそのハイレゾ音源でMacで何とかといふハイレゾ再生ソフト使ふのだといふ。この演奏は1951年、戦後やつと再開となつたバイロイト音楽祭。通常ならワーグナーの曲が主のところ第九は戦前の第1回のこの音楽祭でワーグナー自身が選ばれたさう。吉田館長も1953年にバイロイトでこれを聴いたのだといふ。

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関根氏の解説が『私の好きな曲』の「第九」の章でアタシがさきほど熟読してゐた、まさにその箇所のことだつたので予習もあつて実によく理解できるところだつた。解説の際はフルトヴェングラーのではなく秀和さんがそれと並び推してゐるジョージ=シェルがクリーブランドオケで1962年に収録した第九を用ゐていた。これはフルトヴェングラーのそれとは正反対で「日本ではあまりウケないが」ベートーヴェンがこの曲に込めたものを正確に表現してゐるとするもので解説でのこの演奏の採用は正鵠を射る(得る)ものだらう。 フルトヴェングラーのこの第九、あらためて最高級の音質で聴いても、そりゃモノーラルで合唱は遠すぎるとかいはれるが、このハイレゾ音源ではモノであることを意識もさせず、その合唱も谷の向かふから流れてくるやう。このイベントがはねて雨も霧雨程度なので馴染みの酒場がまだ暖簾こそ出してゐなかつたが入れてもらつて早酒。歩いて気分よく帰宅途中にコンビニに寄つたらアストンマーチンのミニカーなんて売つてゐる。衝動買ひしてしまふが家で開けてみると塗装がイマイチ。何だかヤンキーがオリジナルをどえりゃ~メタリックシルバーに塗装してしまつたやう。

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市立図書館の芸術館書架の吉田秀和著作のなかに『ソロモンの歌』があつて「荷風を読んで」を一読。東京で生まれ育つた秀和さん曰く「京都こそは本当に都会らしい都会だ、東京は醜悪が混在している」。京都は都会を造らうと計画して造られた都市で東京は田舎が自然に都になつた。秀和先生は荷風散人を通して近代人とは何かを説く。

自分の自由を守るためには、どんな責任を自分の背が引き受けなければならないのか。

荷風散人が訳したフランスのテイザンなる人の北斎論も面白い。

理想的傾向を持たず敏感な感情を駆使して多年感情の世界に没頭した末、苦悩悔恨を蔵せざるものゝように事物百般を見る目をつくりあげる。

これが日本の芸術の特徴で秀和さんはまさにこれは北斎に限らず日本の芸術文化の特徴と見抜く。数々の荷風論があるなかで秀和先生のこれもさすがに読み応へあり。

上を向いて歩こう


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新型コロナと米中対立は偶然の同時期発生ではない。こんな不安定な時代にあつての自衛官募集で「大切な人、守れる自分。」はじめよう!と。悪天候で高校生の多い通学時間のバスの車内広告。

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黄昏に久々で、といつても二度目なのだがバーLの口開けでドライマティーニ一盞。一度来ただけなのにアタシの好みで云ふまでもなく濃い口の調合にしてくれるからありがたい。 

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水戸芸術館でパイプオルガンのプロムナードコンサート。奏者(木村理佐さん)は茨城出身だそうで昨年秋に3年の独逸留学から帰国。今年は1月以来半年ぶりの演奏会の由。アンコールにベートーヴェン、否、中村八大の〈上を向いて歩こう〉なのは坂本九が戦時中に疎開したのが笠間で友部駅で同曲が発車に流れるから。 

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灯びは消えてゐると寂しい、明るいと美しい。

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毎週土曜日?BSテレ東で映画〈男はつらいよ〉連続放映してゐて今晩の〈寅次郎夕焼け小焼け〉見る。この第17作はアタシが太地喜和子贔屓といふこともあるが〈男はつらいよ〉シリーズでもう何度見たことか。それにしても何度見ても完成度の高さ格別。播州辰野で宇野重吉岡田嘉子がよいが櫻井センリのお座敷芸も何度見てもおかしい。佐山俊二佐野浅夫久米明大滝秀治と脇を固める役者も素晴らしい。

これを見ながら母から聞いたが母は太地喜和子が亡くなる直前の舞台を見てゐるのだといふ。三越劇場での〈島人お吉〉で舞台で本当に酔つてゐる喜和子が怖いくらゐだつた、と。当日、三越に寄つて劇場でお席があっての偶然の観劇だつたさうな。

流燈


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(大公報)香港では疫禍、飲食店の惨状甚だしい。日本でも同様だが店舗の賃貸料と人件費の高さは日本の比ではない。(蘋果日報中共が香港のBNO(英国海外)旅券を認めないといふ。香港市民でBNOしか持たない場合、海外で何か保護受ける場合に公民として旅行書類不足で差別されたりするのだらうか。香港特区旅券に切替の推奨となるのだらう。

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昨日が今年だけ「海の日」で今日は「スポーツの日」。東京オリンピックが開催されてゐれば今ころ日本は国を上げてオリンピック一色で連日の雨は嫌はれるが予想外の冷夏も幸はひとされたのか。 自転車で水戸市の随分と郊外の佐川文庫まで行つてみるが、やはりかなり遠かつた。雑木林の中の道路を走ると夏の香りも懐かしい。連休で飲食店も休み多いなか県庁近くで「そば紀(とし)」といふ手打ち蕎麦屋開いてゐて舞茸のつけ蕎麦。蕎麦がかなり柔らかいが美味。千波湖畔の茨城県近代美術館で「名作のつくりかた」といふ企画展あり(こちら)参観。大観や菱田春草、中村彝らの作品を通じて、その素材や技法、構図など画家が何う作品の構想をしてゆくかを分析してみせる地味だが興味深い企画展。大観の《流燈》を近くから他の類似作品との比較で見ることができた。

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そして安田靱彦さまの「鴨川夜情」。こんな涼しげに時を過ごしたいとつくづく思ふ。右を向いてゐるのが青木木米(こちら)だと久ヶ原T君に教はつた。

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千波湖畔の緑地を自転車でぐるりと走る。水戸市は米国加州で鼠楽園のあるアナハイム市と、もう40年以上だと思ふが姉妹都市アナハイム広場なる場所が、この湖畔にあり渡るには怖い急勾配のアナハイム橋など建造されてゐるが、それの西側の緑地に重慶広場もあり。こちらは重慶は友好交流都市ださうで、その関係は20年になるが元々は孫平化先生(1917〜1997、こちら)が1985年、つくば科学博に合はせ茨城訪れ重慶との友好交流をとりもつたのが縁なのだといふ。

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謎の恐竜のオブジェは水戸で1993年に第10回の全国都市緑化フェア開催された際に水戸市の展示の目玉として(何だかよくわからないが)重慶市を通して四川省から古代恐竜の全体像の化石を借り出して展示したさうで、それの記念でこのオブジェがこの広場に。
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日中不再選之碑は孫平化と個人的にも親しくされた水戸市議の河津子之吉氏(故人、茨城県日中友好協会会長)が元々は千波湖に近い私有地に建立したもので、その除幕は1992年、盧溝橋事件から55周年の日だつたといふ。その碑がこの重慶廣場に移設されたもの。
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昨日、すみだトリフォニーで初めて聴いた亀井聖矢君が昨年、PTNAコンペで特級グランプリ受賞した際のサン=サーンス、ピアノ協奏曲5番を聴く。コンクールでこの曲を選ぶといふことからあばらかべっそんだが17歳の歴史的名演。

墨東にて


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「亟」といふ字は「すみやか」「速く」の意。大公報の記事は香港で感染拡大で内地からの支援が速やかに必要と宣ふ。米中対立で米国が中共の在ヒューストン総領事館に閉鎖命令で中共は報復で米国の在成都総領事館を閉鎖。成都ではチベット関係などの諜報活動ありとインネンつけたが逆に在米の中共公館のなかでヒューストンだつたのか。

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北千住から墨東へ。放水路は渡つたが大川は超えず。両国橋の東は下総でお江戸に非ず。

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両国ですみだ北斎美術館 参観。特別展で展示品はレプリカだが隅田川両岸景色図巻 と北斎漫画全巻の精緻な複製本あり拝見。ちょっと見のつもりが「大江戸歳時記」といふ企画展(こちら)も面白くかなり見入つてしまふ。北斎恐るるべし。江戸遊といふ風呂やに一浴。入浴料は2,750円也。これでご近所の方が普通に来てる感じなのだから、さすが東京。それでも休憩施設とかが洗練されたサロンで心地よく、若い客がそこでテレワークのやうに仕事や勉強してゐて、これで一日過ごせば快適かと納得。

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昼食のタイミング逃したまゝ初めてすみだトリフォニーホールに。すみだトリフォニーといへば新日本フィル。東京での感染が沈静化する見込みで開催決定、それが第二波で開催危ぶまれたが開催としたのも小屋お抱への楽団だつたからだう。これが客演であれば、さうはいかず。座席も市松模様でかなり閑散。
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本日はチャイコフスキーの三大協奏曲を新進気鋭の若手ソリストで。指揮は同楽団音楽監督上岡敏之氏のところ疫下ドイツより戻る都合つかず大友直人氏に。佐藤晴真君のチェロでロココ風の主題による変奏曲 op. 33で始まり続いて亀井聖矢君のピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 op. 23となり、これが今日のお目当てだつたが19歳の天才の動き出した指は止まらず、湧き出でる、持て余すエネルギーを発散するやうに、この曲をさらにかなり自由な解釈、演出で奏でてみせた。ソロのパートなど途中で「この曲は何?」と思つてしまふほどだつたしリヒテル先生が聞いたら「やりすぎは禁物」と叱りさうだがチャイコフスキーなら19歳の青年のこれをむしろ喜んでみせるかもしれない。第1楽章では、その遊びが目立つたが第2楽章ではヴィルトゥオーソではむしろ落ち着きを見せ第3楽章では崇高な世界へと昇天していつた感あり。9月には大友先生指揮で今度は東京交響楽団でも亀井君のこの演奏あるさう。中入り後は外村理紗さんでヴァイオリン協奏曲 ニ長調(op. 35)。お三方ともアンコールはなし。新日本フィルは一度、香港に来たこともあつたか何うか、日本でだと何十年ぶりか、相変わらず木管が安定して若手が自由闊達に演奏できる度量があるオケで、お優しい叔父さま然とした大友先生の指揮も含め今日のサマーコンサートは成功。
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午後4時に終演。雨止まず。今日は東京で疫禍に最高の366人の感染者である。マスクしてゐる上に何か注文する時以外はほとんど誰とも口を聞かない一日で、さすがに「だんまり」も疲れる。錦糸町から押上経由で北千住。中途半端な時間で宿場町通りに入ると「大はし」は今日から四連休。「北千住に大はし在り」だが客の多くは電車に乗つてまでしてくる人たちの方が地元客より多いとか。路地に入り「こうめい」といふカウンター5席ほどの小さな酒場に入る。口開けの客で生ビールを飲んで浅漬の蕪と谷中生姜をもらひ普通酒の菊源氏を飲んでゐたら常連のご夫婦客が来られ海鞘を頼むので東京で海鞘なんて昭和の終はり頃に渋谷の居酒屋で頼んでしまつて土留色の臭味強いそれがトラウマとなり一度も頼んだこともなかつたが「死ぬとき最後は美味しい海鞘を食べて死にたい」と仰る、その奥様の方が酢に和へもせず生で頬張つた海鞘は「これは美味しいと太鼓判押すので注文してみると確かに美味い。それも、この量で500円である。狭い店なので頭上のメニューも見てゐなかつたが店を出るころに見上げると美味しそうな肴が良心的価格で並んでゐた。


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これで常磐線に乗るつもりが黄昏で北千住といえば、で「飲み横」に誘はれるやうに入つてしまふ。「永見」も「鳥しげ」も休みだつたが天七は今日も元気だ串カツが美味い。

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721から1年


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昨年の昨日の香港はまた勢ひのあるデモの日だった。でも、この721が記憶に残るのは晩に、まるでケーサツに誘導されるかのやうに黒衣君たちが西環に向かひ中联办を襲ひ中共の国徽を汚したのだ。そこから中共反政府運動の弾圧を強める。もはや一国両制下での香港のプチ民主主義の問題ではなくなつたのだ。

721デモ、中聯辦の屈辱と元朗乱暴 - 富柏村香港日剩

あれから1年。こんなデモがあつたことがウソのやう。だが次は9月の立法会選挙である。本日、大暑

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浪花屋でも柿の種なら水戸京成デパートで売つゐるくらゐで求め易くサラピーナも大型食料品店とかにあるにはあるのだがが、このデザインのは長野H氏が送ってくれたもの。新潟の知己S氏の友人がデザインされたさうな。世に中は狭いもの。

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『世説新語』~井波律子先生の『中国人の機智』より


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何だか、もう「コロナ慣れ」してしまつて感染者数とかに驚かなくなつてゐる。村上陽一郎『ペスト大流行:』ヨーロッパ中世の崩壊:岩波新書(黄版 225) を読んでゐるのだが「当時のペストに比べれば」と思つてゐる。当時のペストも元々は地域的な伝染病だつたのが大陸間の民族の大規模な移動や貿易の発展、十字軍などで深刻な疫禍となつたわけで現代の我々の世界的な移動では、いくら衛生環境が整つても何らかの伝染病が拡大してもおかしくないのではないかと観念してしまひさう。

コロナの死亡率「世界でこんなに違う」藻谷浩介(毎日新聞 いつも藻谷先生の冷静沈着なデータに基づく社会分析は目からウロコだ。

死亡率に立ち返れば、日本の水準は世界平均や米独に近いわけだが、検査率が相対的に低く、未発見の無症状感染者や治癒者も多いはずで、本当はもっと低いのではないか。実態はどの程度なのか。

一つの参考事例は、横浜港に停泊していたクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の数字だ。乗客乗員3711人の全員が検査を受け、陽性判明者は20%、発症者は10%。死亡者13人は、陽性判明者の1.8%だった。

同船の重症者の受け入れを全国の病院が渋った当時に比べ、現在では各地に治療のノウハウが蓄積している。また船内で確認されたウイルスと、現在日本の市中にあるものでは遺伝子に変異が生じているが、最近の研究では、新型コロナの変異は毒性の違いを生んでいないという。乗客の多くが高齢者だったことも考えれば、若者も交ざる一般市中での本当の死亡率も、同じく2%を超えないだろう。

とすれば今後の日本では、検査が行き渡るほど死亡率は今の水準から下がる。高齢者の多い一般病棟や介護施設へのウイルス侵入を防ぐことができれば、陽性判明者がさらに増えても、死亡者は以前ほどは増えないという状況が続くのではないか。しかしそこに油断せずに、だが過度に怖がらずに、他人同士が密集した中では話さないなど、ポイントを絞った行動自粛を続けていくことが、当面の間、重要であり続けるだろう。

日本は感染は感染者数も抑へられてゐるが死亡率は外国に比べ低いといふのは正確ではないことがよくわかる。

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知り合いの叔母さまが自動車をどこかの駐車場で路傍の障害物に擦つてしまつたさうで自動車の側面でドアの下で目立ちはしないのだが塗装剥げてしまひ、そろそろ廃車も近い車なので自動車修理工場に出すほどでもない。ホームセンターで自動車メーカー純正の塗装タッチアップペイントを買つて来て、それを塗つてあげたら「お礼に」と布製マスクを塗つてくれた。アタシがいつも手ぬぐひをもつてゐるので、そのイメージださうな。
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上述で「タッチアップペイント」と綴つたが自分では意識してゐないが「最近どうも外来語書くときに言葉と言葉の間の・(中黒)を省略する人が多い」とピーター=バラカン*1氏が週末のラジオで言つてゐた。彼がそれをコメントしたのはリクエスト曲で「ワンスアポンアタイムインアメリカ」と書かれてゐて一瞬で読めなかつた、ということから。共同通信社の『記者ハンドブック』によると

① 単語の列記 テレビ・ラジオ ヤード・ポンド法

② 外国人の名前 サー・ウィンストン・チャーチル

③ 外来語の地名など原則として・を入れない エンパイアステートビル

  「・」を入れるのは

   固有名詞と普通名詞からなる語 ロックフェラー・センター

   3語以上からなる語 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ

   長くて判読しにくい語 パ・リーグ ←逆に短くて判読しにくい例

④ 小数点の単位(縦書きの場合)

⑤ 省略符号 東京・神田駅前の居酒屋

⑥その他、判読しやすくするため トランプ・アメリカ大統領

いずれにせよ①を大原則とするなら、それと②以下にかなり矛盾もあり使ひづらい「・」なのであることは確かだらう。
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ホームセンターはお盆で提灯だとかローソクなど売つてゐるが「安心のお線香」には驚いた。「電子の火で倒れても安心!」ってそりゃさうだがアロマで白檀の香りとかはしないらしい。

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水戸の第一ホテル(上)は旅館ぢゃなくてホテルである。誤解がないやうに言つておくと旧市街に「本館」があり千波湖近くの大きな交差点に「別館」があり桜川岸に近い、ここは「新館」で見た目は新館ぽくないが3つの宿泊施設のなかでは一番最後にできたのだらう。高校生とかのスポーツ遠征とかで利用されてゐるらしい。

三国志』翻訳などもされてゐる中国文学研究の井波律子先生による。中国のこの東晋に続く南朝の時代、その政客文人の撚た言葉を広い了見から見事に、その世界を紹介で、これが井波先生38歳のときだと知ると驚くばかり。井波先生は今年5月に肺炎で逝去され享年七十二。それでどの新聞だつたか読書欄で井波先生追悼の記事あり『世説新語』と井波先生の世界を知り、この新書を市立図書館で借り出して一読。魯迅もこの『世説』を『中国小説史略』で取り上げてゐるのださう。陰湿な翳りのない彼らの語らひ。

彼らの感情のあり方といえば、凄まじく切れ味がよく、甚だ鋭角的なのである。そこにみられるのは、悲哀を乗り越え、憂鬱をはらいのけて、濁世にむかって強かに哄笑する逞しき群像である。地獄のような時間帯に行きあわせ、人の世の修羅の相をくっきりと脳裏に焼き付けてしまったこれらの人々は、いったん心情の極北にまで放逐されたことよって、事象をその裸形の相において透視しうる醒めはてた視点をわがものとした、それゆえにこそ、彼らは誰よりもよく笑い、また目が眩むほど憤りえたのである。彼らはいかなるものに対しても幻想を抱かず、自己存在を唯一の基点として、好きなものは好き、嫌いなものは嫌、嬉しいことは嬉しい、腹立たしいことは腹立たしいと、残酷なまでにはっきりと選別する……

なんて愉快なことか。

彼らは(乱世にあつて強大な権力の下)無力感に打ちのめされ、ひっそり閑と息をひそめ、おとなしく絶望のうちに自閉したりはしない。世説新語』の人々は、体制的秩序型の政治的人間の育成を究極の目的とする儒家思想の有無の倫理、煎じ詰めれば支配の論理に対する理念的否認をもつて表現しようとする。つまりは道家老荘思想の「無為自然」のラジカルな実践。彼らは、常識や世間的通念に反抗して、社会的にはなんの有効性もない愚行に身を委ね、勤勉のかわりに誇らかに怠惰を選びとり、あえて自ら非政治的・非機能的な無為無用の存在と化して、現世の束縛を振り切り、軽やかに思いのままに主体的に生きようとする。

いいねぇ、実にいいねぇ。もはや山下洋輔先生らの遊びの世界すら彷彿させる。

かくして竹林の七賢を初めとする『世説新語』の人々は、政治悪・社会悪への加担を拒否し、ただあるがままの自己存在を唯一の根拠に、時にはきわめて挑戦的に否認のポーズをとりつつ、現実社会を一気に超越して、人為を超えた自然、非現実の空間に遊ぼうとする。こうした世界観のもとで、抽象的な観念議論ー清談ーが大流行し、会話の中で機智的表現が重視されたのも、むしろ当然の成り行きであった。なぜなら清談はこのきわめて観念的な人々に、地上から無限に遊離し、架空の想念を弄ぶ無上の快感を与えるゲームであり、機智表現は、こわばった生真面目さを嫌うこれらの人々にとって、現実の力関係を度外視し、機智のもたらす笑いによって、それを一瞬逆転させる魔法の杖、に他ならなかったからである。

そして古典の教養を背景にしたパロディが生まれる。

現実の力関係で遥かに劣る者が権力者に対してなしうる攻撃・反撃(逆襲)は、けっして直接形ではありえない。直接攻撃は、たとえそれが言葉の刃であっても黙過されず、直ちに身の破壊に連なるからである。ここで典故の運用が威力を発揮することになる。権力者への避難攻撃は、典故によってオブラートをかぶせられ、間接化される。こうして、権力を撃つ者は、自らの立場を紙一重で危険から遠ざけつつ、暗示的に攻撃を敢行して、その目的を達するのである。

井波先生は、そうした知力と諧謔の精神を現代では毛沢東に見る。

誰でも事物を認識しようとすれば、その事物と接触すること、つまりその事物の環境のなかで生活すること(実践すること)よりほかには、解決の方法がない。(中略)知識を得たいならば、現実を変革する実践に参加しなければならない。梨の味を知りたければ、自分でそれを食べてみること、すなわち梨を変革しなければならない。(中略)革命の論理と方法を知りたければ、革命に参加しなければならない。すべての真の知識は間接的経験をその源としている。(実践論より)

勿論、『世説』のさうした文人らの諧謔の精神は弱いもので、その弱さを魯迅は鋭く突き、それがいかにダメかを説いてゐるのだといふ。そのへんは魯迅もきちんと読まないといけない。ところで「小説」について。小説の真逆は「大説」で、それを国史など大きな物語だとすれば「小説家なるものの流は、蓋し稗官に出ず。街談巷語道聴塗説者の造る所なり」と。「王者は閭巷の風俗を知らんと欲し故に稗官を立て之を称説せしむるなり」。このような「小説」が支那のものであるとすれば日本で物語文学の土壌の上に西洋を見て近代の小説運動が起き、それが魯迅らを通じて中国の現代文学となつたのもわかるところ。

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*1:この名前だつてピーター・バラカンと書くのが普通かもしれないがアタシは本多勝一の『日本語の作文技術』を読んでから「=」を使ふやうになつた。

農暦五月晦日


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朝イチで代々木系病院。定期診察で薬処方してもらふのだが担当の先生が一般外来で予約なしの担当のため朝7時の予約開始に来て9時の口開け狙ひなのだが7時に行列なんてこともない。家に一旦帰るのも面倒なので24時間営業のデニーズで朝食。 ビジネスホテルの入り口にあるデニーズでホテルの朝食も兼ねてゐた。

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血圧と血糖で薬は前回、血圧の薬を一つ減らしたが順調。血糖はジャヌビアといふ銘柄の薬を服用してゐたが香港でも公立病院の提供外、日本でも保険が効くとはいへ高価。お医者に相談すると糖尿病といふわけでもないのに従前からの100mgは確かに強すぎるかといふことで50mgに変更。

ジャヌビア錠50mg JANUVIA Tablets 50mg 126.5円/錠
ジャヌビア錠100mg JANUVIA Tablets 100mg 188.7円/錠

処方薬局は前回、薬が1つ減り今回も変更に「お薬減らしても大丈夫ですか?」と心配されるがお医者さまの判断なのだから。ブドウ糖のお薬を出しますか?といはれるが低血糖なわけじゃないしお断り。一旦帰宅して水戸芸術館の北側に移転されたばかりの歯科へ。 

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幼児のときに通院してゐた小児科の病院の処方薬が歯に副作用多く歯の変色や質の劣化などあり永久歯になつてもそれが続き歯はかなり治療必要だつたが香港は歯科治療は高価でできるだけ避けたく30年で親知らずの抜歯や銀のカバーが外れた時くらゐしか行かぬやうにして電動と歯間のブラシ、リステリンで何うにか虫歯にならぬやうにしてはゐたが年齢もあり今後何う歯をメンテしていかうかと思案するところもあり歯科治療に。かなりボロボロですよ、といはれるの覚悟してゐたが1時間に及ぶレントゲン含む検査の結果で「年齢と、子どものとき当時の薬の副作用を考えれば、まだ歯はちゃんとしてゐる方ですよ」といはれ多少安堵。何本か治療しておいた方がよい歯から治療始めることに。
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こゝの幼稚園に通つた水戸の耶蘇教会。小学生の頃に優しい神父が英会話教へてくださる日曜学校にも通つてゐて高校生までの生活圏。そもそも水戸芸術館の地に小学校があつたのだから。
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お昼ときで大工町の㐂久水は月曜で定休。B級グルメで評判になつたラーメンの鈴木もずっと閉まつたまゝだが休業のお知らせが張り出してあるわけでもない。 


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真言宗豊山派神崎寺に掃墓。新暦のお盆も過ぎてゐるがアタシにとつては未だ農暦の五月晦日でお盆は2ヶ月半も先のこと。墓石の傍らに祖父が遺筆の石がずいぶんと汚れてゐて判読不明に。寺の庫裡から束子借りてきれいにする。

郷里太田町

梅照院ヨリ

改装ス

昭和十四年

七月

 明治の末には水府に移住してゐるはずだが墓は昭和十四年まで常陸太田にあつた。
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四月に水戸に戻つてから宅飲みの酒は菊正宗でウイスキーハイボールサントリー角と決め込んできたがウイスキーはストレートで気つけには今ひとつでジャックダニエル調達。フラスコの酒もジャックダニエルにするが注ぎ口が小さくウイスキーこぼすので何かよい方法ないか?と考へた結果が注ぎ口の鋭角のメジャーカップがよいことに気づく。